あなたが文章を書き続ける理由
今日もたくさんの文字で世界は満ち満ちている。
新聞、雑誌、ブログ、SNS・・。
ビジネスや目的を持って書いている方もいる一方で、趣味や日記のような感覚で文字を起こしている人もたくさんいる。
僕の周りにも、判を押したような日常の繰り返しに、どうにかなりそうなその気持ちを、どこにも行けないその気持ちを、どうしようもなく文章にぶつけている人が何人かいる。
ある一人は、「なぜ書くのだろう」とい自問に、
「何かが変わるかもしれないから」と自答した。
その「何か」は、「自分」かもしれないし、「周り」や「環境」かもしれない。
そしてその変わるかもしれないというXデーは、誰も知らない「いつか」だ。
そう考えると、パソコンに打ち込まれた自分の文章の拙さに泣けてきたと言う。
まとまりのない文章。浅はかな意見。正解なんてないのに、自分の文章が合っているか不安になる(文法的にも、構成的にも、内容的にも)。
それでも書き続けるのは、
「これしか希望がないから」だと言う。
「書いていれば、いつかきっと誰かが、何かが救ってくれる」
そう思って今日も書いているのだと言う。
思う。
きれいな文章じゃなくていいし、まとまりがなくてもいい。
そんなものより、いつだって人の心を揺さぶってきたのは、
「どうしようもない衝動」や「嘘偽りのない純粋な何か」、「歌詞にもならない叫び」のようなものだったはずだ。
誰かの役に立たなくてもいい。
目的なんか持たなくたっていい。
立派な文章でなくてもいい。
誰かのためになんか書かなくてもいい。
書かずにはいられないその衝動は、いつか消えてなくなってしまうもの。
だからこそ、今とても価値のあるもの。
世界に絶望しながら立ち尽くすことは容易い。
それでも止まることなく書き続ける、歩み続けるあなたはすごい。
言葉にならなかったら、思いきり叫べばいい。
誰も知らない、いつかの自分のために。
大丈夫。
思いきり、書いてほしい。