かけがえのない一瞬

三輪亮介の日常ブログです。ここでは仕事の近況・日々の想いなどを綴りたいと思います。

時代

「時」は僕らの意思に関係なく
川のように淀みなく流れていくが

「時代」は
川のように自然と流れるものではない

人が作るものだ

他人同士の各々の意志と意志の錯綜の中に
偶発的に しかし必然的に
築き上げられるものだ





「1950年代に生まれたかった」

そう 高校生の頃によく思った

1960年代の学生たちのように
この世界を変える意志を高らかに叫び
夜な夜な行きつけの喫茶店
未来の国について憂い 朝まで語らい
ビートルズのライブで
LOVE and PEACEの風を感じたかった
荒い映像を流すテレビにしがみついて
遥か彼方のアポロに思いを馳せたかった

髪と髭を伸ばし
リーバイスの646のベルボトムを履き
アコースティックギターを持って
愛する人に曲を作りたかった

「新しい時代」をその時代に生きる人たちが
確かな意志を持って作ろうとしていた時代





そんな時代に生きた彼らの背中に
熱烈に そして滑稽に憧れた

僕は僕なりの時代の中で
僕なりの意志で その時々で強い意志を持って
大きな桑を振り上げてきた

大きなうねりを作れた時もあったし
大きな波にかき消されたものもあった

それでも僕は「時代」を生きるのはなく
「時代」を作る皆の一人でありたい





「時」は2020年を迎えている

「時代」はどんな時代だ

何に怒っている 何に喜びを感じている
足りないものはなんだ
皆が拳を上げるロックンロールはあるか
愛は まだ人々を救っているか
人々は 愛をまだ信じているか

魂を燃やしているか
ときに自分自身のために
ときに誰かのために




どんな時代を目指そうか




なあ

大きな桑はあるか

=======================================

時は2022年を迎えている。

2年前、自分の見上げた景色。その答え合わせはできたか。

人は相変わらず、傷付けあい、また、助け合い、裏切られ、それでもまた、愛し続ける。「こんな時代だから」ではなく、「こんな時代でも」という言葉が、僕の中では大きくなった時間だった。

いつか、今の若者たちは「コロナ世代」なんてラベルを背中に貼られてしまうだろう。僕らや、昔の人たちがそうであったように。

こんな時代でも、いや、どんな時代でも、変わらないものがある。

そういうものを見つけた2年だったように思う。