かけがえのない一瞬

三輪亮介の日常ブログです。ここでは仕事の近況・日々の想いなどを綴りたいと思います。

あたたかい雪①

私は、私の夢を見る

彼と一緒に地下鉄に乗っていたときだ。
親子の写真とともに、「パパは君で夢を見る」というキャッチコピーの広告が目についた。
犀川はそれを見て、萌絵にこう言った。
「子供は、あんなパパが大嫌いだ」
萌絵も同感だった。
子供で夢を見る親は、もう「親」という生き物だ。
それは人間の生を放棄している。
ついつい人は、そうした装飾に包まれた安楽を望む。
何故か?
それが楽だからだ。
子供に夢を託した方が、自分が夢を実現するよりも楽だからだ。
少なくとも、そんな男だけには関わりたくない、と萌絵は思う。
彼女の父親も母親も、娘に何も託さなかった。
彼らは自分たちの人生を生き、その人生の中で娘を愛したのだ。
私の夢を見るのは、私だ。

森博嗣『有限と微笑のパン』より―
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白の章への構想

でも、と僕は思う。
子どもは自分で環境を選べない。自分で住む場所を決められない。自分のお金で病気を治せない。
そんな「子ども時代」と呼ばれる過渡期の中で、親が子どもに果たす役割は計り知れない。
最低限、人生に干渉せざるを得ない。そしてその最低限の干渉は、やはり子どもの心を大きく揺さぶる。

「いつか僕らがグレーになる頃に」の最終章・白の章は、小学5年生の冬、彼らが初めて出会った日から始まります。親に縛られ自由を求める美幸と、自分たちの夢を生き生きと追いかける3人。そんな彼らに美幸は感化されます。しかし一方で、美幸の母は、「子どもを守れるのは親しかいない」と言い放ちます。

「子ども」の気持ちと、「親」の気持ち。
マル・バツなんて付けられない2つの気持ち。
だからグレーだったのだと、今は思う。
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最終章は僕らのために

描くか…描かないか…。
随分迷ったけど、やっぱり描くことにした。
自分の人生を振り返ると、いつも、遠回りを選んでしまうことが多い。

それでも、踏み出せば、後悔はない。
あとで後悔することもあるけれど、そのときの決断に後悔は微塵もない。

これは、
あの頃の僕らの物語だ。

描こう。
僕らのために。