かけがえのない一瞬

三輪亮介の日常ブログです。ここでは仕事の近況・日々の想いなどを綴りたいと思います。

第2回 EverClass「その校則って必要?僕らが作る新しい校則」

先日、第2回ever classが開催されました。
テーマは「その校則って必要?僕らが作る新しい校則」

「髪型を制限する校則」に対して3つのグループ(賛成/反対/決められない)に分かれて意見をまとめてもらいました。最も有力だった意見は下記の通り。

(1)賛成派「髪型の校則は必要」
・社会に出たら、自分の意思に関係なく社会のルールを守らなくてはならない場面が多々ある。学校の校則を守ることは、社会人としてのプロセスとして悪いものではない。

(2)否定派「髪型の校則は必要ない」
・多様化を進める現代で、外見で判断するような価値観は時代と逆行している。
・「学校の評判を守る=生徒を守る」の相手側の主張は、生徒自身の私たちの胸中からすると「私たち生徒のため」とは到底思えないため、校則と結果に乖離がある。

(3)決められない
・そもそも校則とは、「その学校にいる生徒」が対象なため、一概に「髪型の校則が必要かどうか」は対象によって変わるためこの場では言えない。対象を絞る必要がある。


例えば、「全国で統一された校則にすれば良い」と言う意見は、「世界で統一された法律にすれば良い」と言う意見に近しいです。それは前回の授業で取り上げた、マイケル・サンデルのいう「幸福の最大化」の考え方になってしまい、少数派(例えば脱毛症の方へのウィッグの使用、宗教上の帽子の着用しなければならない人々)に優しくない世界になってしまいます。
法律、ルールは、「その場所に所属する対象の特性」によって決められるものです。ルールが先ではなく、対象(誰に向けて)が先に考えられています。それは、広告でも、建築でも、ゲームアプリでも、すべてその考え方に基づいて発生しています。

逆に言えば、「髪型の校則が必要だ」とその学校の先生方が判断しているのであれば、それは先生方がその学校の生徒たちのことを「髪型の校則を守らなければ乱れてしまう生徒たち」と判断していると言うことです。

よって、生徒が校則を覆すためには、ルールを作る側の人たちに、「対象の認識が間違っていますよ(私たち、そんな生徒たちじゃないですよ!)」と納得してもらう必要があるわけです。
それは歴史を紐解いた時に、人権を獲得してきた人類の歴史と全く同じだと僕は思います。

さて、どうだったでしょう。何を感じたでしょう。



本題とは少し違う切り込み方ですが、
学生の中には「学校の校則」を知らないで入った人が大半だと思います。もっと、学生たちが気になるような校則(髪型・スマホ・スカート丈など)は、ホームページなどでオープンに公開してもいいのにな、と思います。
毎年夏休みに、校則を各校が一斉にわかりやすく公開したら、いろいろな意味で世間の関心も高まりそうですよね。受験の意識も高まって盛り上がりそう。

次回は、ディベート
テーマは未定ですが、陸が主導でやってくれます!お楽しみに!