かけがえのない一瞬

三輪亮介の日常ブログです。ここでは仕事の近況・日々の想いなどを綴りたいと思います。

後悔は愛から生まれている



後悔は愛から生まれている

親父の定年退職祝いで、草津に家族旅行に行った。

後輩の話や、少し年上の人の話に耳を傾けることは多いけど、自分の倍の年齢に、想像を拡げることは通常多くない。

妙なことに、最近僕が描き上げたマンガの主人公は57歳。
先日、試写会で観た『リベンジ・マッチ』に出てくるロバート・デニーロは70歳。シルベスター・スタローンは67歳。そして、僕の親父は60歳を迎え、定年退職を迎えた。
なんの因果か、最近の僕は、そんな途方もない未来のことに想像を拡げている。

60歳を迎えたとき、自分は果たして何を想うのか。

『リベンジ・マッチ』では、かつて宿敵同士だったボクサーが、30年後に遺恨を晴らそうという物語で、過去に対する「後悔」に、向き合うべき「タイミング」が訪れる。
僕の描いたマンガでは、かつて共に芸術家を志した2人が、1人の女性を巡って離縁し、30年後に1人生き残った主人公が、親友の追悼展に足を運び、過去の「後悔」と「真実」に向き合って行くという物語だ。

「後悔のない生き方なんてできないけど、後悔のないように生きようって思う」

そんな21歳の頃書いた自分の言葉が、ノートに残っている。自分の選択と決断の未熟さを認めながらも、未熟でも、その選択と決断でより良い未来を開いていこうという気持ちが尊いのだ、ということを詠ったものだ。

けど、今の僕が抱く「後悔」のイメージは、一重に「愛」という言葉に込められる。

「愛しているから後悔しているのだ。後悔は愛から生まれている」

他人から見ればどうしようもなく小さな事でも、本人からすれば、身体の一部を失ったかのような喪失感を伴うものがある。それは、紛れもなく、愛しているからだ。
人を、物を、場所を、あるいは、時間を。
向き合えなくて目を背けた時期もある。忘れようと願ったこともある。もしかしたら本当に忘れていたのかもしれない。それでも、人生には、向き合うべきタイミングが訪れる。
そんな気がしてならない。
それはいつなのだろうか。

3時に目が覚めて、小腹が減ったので、1人、近くのセブンイレブンカップヌードルを食べていると、大学生の男女グループが各々寝巻のまま入ってきた。卒業旅行だろうか。今夜告白を予定していた子は、誤算だったろう。眠気よりも興奮が勝って、全員眠れなかったみたいだ。
寒さに、一層白く立ちこめる湯畑の周りを、意味もなくみんなで周回していく。
それぞれの想いが行き場をなくして、湯気に混じって浮いて行くようだった。

彼か彼女の未来に、硫黄の香りが、今夜をどうしようもなく想起させる日が来るかもしれない。

と、飲み干したカップをゴミ箱に捨てて、宿に帰った。