かけがえのない一瞬

三輪亮介の日常ブログです。ここでは仕事の近況・日々の想いなどを綴りたいと思います。

3年B組に、いたいのではない。

「人とかかわる」とは、一体どういうことだろうか。


正解はない。


それぞれの定義が存在するし、自分に合った定義に人は集うだろう。

「類は友を呼ぶ」という言葉が、それを端的に表している。

 


「組織」は、わかりやすい形で僕らの前にある。

「野球部」は「野球をする団体」だし、「眼鏡屋」は「メガネを売る団体」だ。

 

一方、目的の見えづらい「組織」というものがある。


たとえば、「学校のクラス」は、「ただ同じ教室になっただけの団体」だ。

体育で野球をすることもあるけど、野球をする団体ではない。

文化祭で演劇をすることもあるけど、誰一人、演劇をするために入ってきた者はいない。

 

しかし、それは時折、他に類を見ない、

とても強い「絆」で結ばれることがある。

その「絆」が一生涯続くことも珍しくないだろう。

なんの共通項も持たない者たちが、果たして何を通して絆を深めるのか。

 

それは、バットで結ばれたのではない。

ましては、売り上げ目標を達成した一体感で結ばれたわけでもない。


彼ら彼女たちが手を繋いだ場所の名前は、


一つ一つの体験の中でさらけ出した「本当の自分自身」と、

それを受け入れて、

本当の自分自身でぶつかってきてくれた相手への、

「絶対的な信頼」と「圧倒的な感謝」だ。

 


その場所を起点とした活動は、最高に楽しい営みとなるはずだ。


コーヒーを沸かして、それぞれ持ち寄ったマグカップでそれを片手に談笑する。


みんなでコンビニに夕飯を買いに行く。

カップラーメンをすする。


絵を描いてみる。

掃除をする。

本を紹介し合う。

年に一度、旅行に行く。


特別ではないものが、特別になる。

憂鬱な強風の1日が、みんなといると特別な1ページになる。



 

僕らに名前はない。


「友だち」「職場の仲間」「サークル」


世間一般に流通している言葉では、包括できないものだ。


「もはや家族みたい」と、大学生1年生の子が言った。

短絡的に選んだのではない。もっとも近しい表現を彼女なりに選んだのだ。


「特別な場所」だと、周囲に認めてもらう必要はまったくない。

「特別な場所」だと、僕らが自分自身で思えることが大切なのだ。



 

3B組に、いたいのではない。

このメンバーと、いたい。



 

なぜ、このメンバーなのか。

選んだわけでもない。

狙ったわけでもない。

ただ、自分のいる場所で出会う人たちと仲良くなりたかっただけだ。

たくさんのいいところを発見して、たくさんのダメなところを言い合った。

 

痛いなぁ。辛いなぁ。ムカつくなぁ。

こんなに「人とかかわる」って面倒くさいのか。


正解はない。




「本当の自分を認めること」だ。




いつでも、そこからだった。