かけがえのない一瞬

三輪亮介の日常ブログです。ここでは仕事の近況・日々の想いなどを綴りたいと思います。

『C-46』じゃなくて、『C-60』

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色んなことを知った今、
僕らが考える「永遠」とは、あのときの「永遠」とは違う。


以前、「断捨利」の影響で部屋を片付けたとき、何本かのカセットテープを見つけた。大切なものが入っていた気がして、なんだか捨てられなかった。かと言って、再生する肝心のラジカセは壊れてしまっていたので、結局、どうしようもないまま、そのまま引出しの奥に閉まっておいた。
それが、デスクを買い替えた関係で、収納する場所がなくなってしまったので、いよいよ友だちに預けてデータ化して送ってもらった。
少しワクワクしながら、半ばドキドキしながら、パソコンにイヤホンを繋いでみる。
ヘタクソなアコギ、高い声、ハズれる音程、テープ独特の雑音。そこには、10代の頃、僕が覚えたてのギターで、夢中になって作った曲たちが、実に23曲も収録されていた。友だちと一緒に歌っている曲もある。1人で聞いていても、時折、鳥肌が立つくらい恥ずかしかった。
でも、それ以上にすごいなと思ったのは、曲を聞いていると、その録音しているときの光景が鮮明に蘇ってくることだった。中には、バックに蝉の声が入っているものもあった。あのとき、あの公園で録音したものだ。

10年…。10年が経っている。

変わらないわけがない。でも、あのときは本気で「永遠」なんて言葉を信じていた。
「色んなことを知っちゃうとダメだよ」と、あの頃、友だちの一人が言った。
そうかもしれない。色んなことを知った今、僕らが考える「永遠」とは、あのときの「永遠」とは違う。
けど、それを信じるか、信じないかは、今の僕たち次第ではないだろうか。

こうも思う。
このタイミングで10年前の僕の声が、10年後の今の僕に届いたことに、意味があるんじゃないだろうか。
無知で、無恥なまま紡いだ言葉たち。

今の僕なら、どんな言葉を紡ぐだろう。